2025年9月18日木曜日

最北の旅① 稚内


久しぶりのマイル旅は最北の島へ
9月10日〜 9月13日(3泊4日)


羽田空港第2ターミナル 4階レストラン街
 搭乗前に『アカシア』でロールキャベツを。

1時間30分で稚内上空
座席はやっぱりマイル席(翼の部分)だった。

氷雪の門(樺太島民慰霊碑)1963年8月建立

市街地を一望できる高台の稚内公園。
かつては日本の領土だった樺太(サハリン)で亡くなった
日本人のために建てられた慰霊碑。

高さ8mの門の向こうにサハリンの島影がみえるように設計されている。
帰りたくても帰れなかった人々、氷と雪の厳しい環境で生き抜いた人々を
象徴するブロンズの女人像と高くて狭い望郷の門。

(この彫刻は札幌出身の世界的彫刻家、本郷新氏による)

そして、なんと運がいいのでしょう。
晴れた海の向こうにサハリンがくっきりと見えた。
宗谷岬からサハリンまでの距離は
東京から八王子までの距離と同じ43キロという近さ。

真岡郵便局(樺太)の
9人の若い女性電話交換手たちの最後の電話連絡は
『皆さん これが最後です  さようなら  さようなら』

この後9人の乙女は服毒自決をする。沖縄のひめゆり学徒隊
だけではない。北の果てでも戦争の悲劇が語り継がれている。

公園内にある土産店の一角にサハリン雑貨コーナーをみつけ
マトリョーシカ(5体もの)を買う。
ひとつひとつ手描きなので表情も様々。

風の街稚内と呼ばれるほど強い風が吹く日が多い。
港の防波堤としてだけでなく桟橋から駅までの通路としても利用できるよう
アーチ式の巨大なドームが造られた。(1936/昭和11年)
かつては、樺太へと渡る人々で賑わっていた場所である。

防波堤公園内には、昭和の横綱『大鵬幸喜上陸の地』として
記念碑が建てられている。


この日の宿は、防波堤ドームの前に建つ『氷雪荘』
よく見ると看板にも氷雪の門が描かれている。

早朝、氷雪荘から見えた景色
防波堤ドームの後ろから朝日が昇る

朝早く、フェリー乗り場に向かう道中
鹿さんと目が合う

稚内市内の道路標識はロシア語表記がある




2025年9月15日月曜日

STING 3.0 Japan Tour



スティング2年半ぶりのジャパンツアー

ポリス時代の名曲、スティングがソロになってからの
数々のヒット曲。今回はスマホ撮影OK、動画も撮れました。
(前回はNG)

9月14日 有明アリーナ

メンバーは、長年の相棒でもあるギタリストのドミニク・ミラーと
ドラマーのクリス・マース。
トリオ編成のバンドはポリス時代の原点回帰と言われている。
ステージの装飾はほとんど無いとてもシンプルなものだったが
照明の演出がすばらしく感動の2時間だった。
いつもこれが最後かなと思いながら観ているがまだ早いかな^^





まだまだ蒸し暑い日だった




2025年9月9日火曜日

皆既月食 / 菊の節句

9月8日 3:50
まだ暗い早朝、西の空にブラッドムーンがぽっかり。
ちょうど皆既食が終わった時間、熟した桃のようです!

ベランダに出たらこの間までの猛暑が嘘みたいに
涼しい。すっかり秋です。

そして今日は五節句のひとつ、菊の節句。
月次花御札も9月は菊の花。



五節句

1月7日 人日の節句(七草の節句)
3月3日 上巳の節句(桃の節句) 
5月5日 端午の節句(菖蒲の節句)
7月7日 七夕の節句(星祭り)  
9月9日 重陽の節句(菊の節句) 

日本では季節の節目を祝う風習であるが
元となった中国では、奇数の重なる日は不吉な日とされ
邪気払いが行われていたそうだ。
1月だけは1日(元旦)は別格とし7日になっている。
呼び方も、中国と日本が混在している。



2025年9月5日金曜日

あづまのオムライス @銀座

1946年創業の老舗レストラン『あづま』
銀座のど真ん中にある洋食店

(中央区銀座6-7-6 西六ビル1階・地下1階)

赤いギンガムチェックのテーブルクロスは時代を超えて
洋食のイメージを掻き立てる。

店を切り盛りしているのは年配のおじさまばかりという
のもなぜかホッとする。気取らないサービスがとても心地よい♪
 
銀座に残る昭和

三原小路を通り抜け三原通りを左折すると見えてくる
ゲート状の看板。
昭和の雰囲気が残る路地には数件の店がありその先は
袋小路になっている。